立花から神戸支社印に変わります。
「水堂代官屋敷跡」とはかつてこの地に存在した地方代官の屋敷跡です。
1643年頃、尼崎藩主の青山幸成が次男の青山丹後守に分地させた
摂津国の地域を統治するために作られたもの。
ここの代官は代々青山氏が勤めてきました。
屋敷は鉄道敷設工事のため、たびたび場所を移す工事が行われたものの、
1989(平成元)年に老朽化のためについに取り壊されました。
最近まで屋敷門が残っていたが、こちらも取り壊されています。
…ということで、この描かれている屋敷門も残っていません。