KAYZのスタコレ2

全国各地に設置されているスタンプを集めています。記事の大半はスタンプ関連、他は讃岐うどんやカレーなど…。Twitterアカウントは@kayz_stamper

2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その3

湖南市は2004(平成16)年に甲賀郡内の石部・甲西の2町が合併して発足した市で、 1959(昭和34)年の「昭和の大合併」の際に合併勧告(←勧告があったんですね)を受けていたものの 実現しなかったため55年越しの合併と言えます。 甲西の支社印は善水寺。 石部と甲…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その2

石部は東海道の51番目の宿場町です。 資料館など町の中心へは徒歩15分ほど。 駅に隣接するコミュニティハウスには宿場町を描いた記念スタンプ(下)がありました。 駅のスタンプは湖南三山の常楽寺と長寿寺が描かれていますね。 残る善水寺は次の甲西駅のスタ…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その1

草津線は東海道本線の草津から関西本線の柘植を結ぶ路線で、 草津からほぼ中間に位置する貴生川までは東海道沿いを走り、 そこからは東海道を離れ忍者の里である甲賀市の中心へ向かいます。 では、北から南へ辿って行きましょう。 まずは手原。 東海道本線に…

奈良までは行かない 奈良線・その14(終)

玉水の支社印に描かれているのは井堤寺(いでじ)跡。 聖武天皇の時代、左大臣という最高の権力に登りつめた橘諸兄(もろえ)は、 都を平城京から恭仁京に遷都した時の推進役となり、 恭仁京に近い井手の別荘で政務に就いたと考えられています。 その別荘をもと…

奈良までは行かない 奈良線・その13

山城青谷の支社印には青谷梅林が描かれています。 起源は明らかではないのですが、後醍醐天皇の皇子・宗良親王の歌に 「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなき」 とあることから鎌倉末期頃にはすでに梅林があったようですね。 およそ20haの…

奈良までは行かない 奈良線・その12

長池は秀吉の時代に整備された大和街道(伏見から奈良への街道)の宿場のひとつでした。 「五里五里の里」(「ごりごりのさと」とは何だか響きが良くないですね・笑)と呼ばれる場所で、 宿場町の長池はいわば『城陽の中心地』でした。 スタンプに描かれているよ…

奈良までは行かない 奈良線・その11

城陽の地名の由来は1951(昭和26)年に久世郡久津川村・寺田村・富野荘村、 綴喜郡青谷村の4村が合併して、町制が施行された時の町名公募にまで遡ります(久世郡城陽町)。 「山城国南部、陽の当たる豊かな土地」という意味だそうです。 1972(昭和47)年には市制…

奈良までは行かない 奈良線・その10

新田(しんでん)の支社印のフレーズは「むかし懐かし茶屋の駅」。 近くに茶屋が残されているのかな?と思い、 いろいろ調べてみたものの「これかな?」といえるものは見つかりませんでした…。 知っている方、情報をお待ちしてます。m( _ _)m〃 駅前には立派な…

奈良までは行かない 奈良線・その9

JR小倉(おぐら)駅は2001(平成13)年に開業しましたが、 併走する近鉄京都線に小倉駅があるため「JR」を冠しています。 この「JR」は、九州の小倉駅(こちらはご存知の通り「こくら」)と区別するためでもあります。 さて、このJR小倉の支社印の絵柄は「…

奈良までは行かない 奈良線・その8

宇治のスタンプは新旧のフレーズが異なっていますが、平等院はどちらにも描かれています。 世界遺産となった平等院に加えて現行の支社印には、十二単の宮中女性が描かれていますね。 紫式部が書いた「源氏物語」の後半は、 ここ宇治が舞台となっていて『宇治…

奈良までは行かない 奈良線・その7

黄檗のスタンプには新旧とも(現行支社印は上)、徒歩5分のところにある黄檗山萬福寺が描かれています。 日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、 中国・明出身の僧・隠元を開山に請じて建てられました。 建物や仏像の様式、…

先月のまとめ 2013年5月

先月のまとめです。 5月はあまり更新できませんでした。 5月前半は能勢電車の話題、5月後半は奈良線のスタンプ紹介でしたね。 奈良線のスタンプ紹介は今月も続きます。 「奈良までは行かない 奈良線」 5/20 東福寺 5/22 稲荷 5/24 JR藤森 5/26 桃山 5/2…