玉水の支社印に描かれているのは井堤寺(いでじ)跡。
聖武天皇の時代、左大臣という最高の権力に登りつめた橘諸兄(もろえ)は、
都を平城京から恭仁京に遷都した時の推進役となり、
恭仁京に近い井手の別荘で政務に就いたと考えられています。
その別荘をもとに立てられた寺院が井堤寺なのですが、
現在は廃寺となっていて2004(平成16)年から本格的に発掘調査が始まっています。
わが国の美人の代名詞でもあり、女流歌人としても知られる小野小町は
晩年を井堤寺で過ごしたと言われています。