城陽の地名の由来は1951(昭和26)年に久世郡久津川村・寺田村・富野荘村、
綴喜郡青谷村の4村が合併して、町制が施行された時の町名公募にまで遡ります(久世郡城陽町)。
「山城国南部、陽の当たる豊かな土地」という意味だそうです。
1972(昭和47)年には市制が施行されました。
支社印(右)には「和歌の名所・古墳のまち」とありますが、
他にも久世神社や水度神社、荒見神社(いずれも本殿が国の重要文化財)、
阿弥陀寺(木造薬師如来立像が国の重要文化財)などがあり、歴史に包まれた町であると言えますね。
左のスタンプは今もあるかどうかはわかりません(あっても埋もれているかも…)。
また奈良線に乗る機会があれば確認してみたいと思います。