KAYZのスタコレ2

全国各地に設置されているスタンプを集めています。記事の大半はスタンプ関連、他は讃岐うどんやカレーなど…。Twitterアカウントは@kayz_stamper

2013-01-01から1年間の記事一覧

2013.9.22 続・スタンプネタではないですが…その3

播磨町のイラスト看板には 『いせきくん』と『やよいちゃん』なるキャラクターが描かれているのですが、 この二人、加古郡播磨町のマスコットキャラとして平成元年に誕生したとのこと。 平成元年、ということですから誕生してからもう四半世紀経つんですね……

2013.9.22 続・スタンプネタではないですが…その2

次の山陽魚住でも下車。 『ぼたんの寺』として知られる薬師院が描かれています。 JRの魚住駅のスタンプにも描かれているテーマですし、それと見比べてみてもいいですね。 ↓JR魚住のスタンプはこちら↓ http://blogs.yahoo.co.jp/sta_colle/13773864.html …

2013.9.22 続・スタンプネタではないですが…その1

9/22(日)は山陽明石~山陽姫路のイラスト看板設置駅に降りてみました。 まずは西江井ヶ島。 この辺り(山陽明石~大塩)の各駅はほとんど降りたことがなく、 これまではただ通り過ぎるのみだったので降りるのは何だか楽しみ。 西江井ヶ島の駅周辺は「西灘」と…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その11(終)

この日は山陽明石で看板撮影は終了。 描かれているイラストは駅南側にある魚の棚商店街。 隅っこに描かれている女の子が食べているのは明石焼きですね。 たこ焼きとは異なり、ダシにつけて食べるのが特徴。 明石へ来た際は是非どうぞ。 「うおんたな 明石の…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その10

山陽明石のひとつ手前、人丸前にもイラスト看板があります。 ホームからも見える明石市立天文科学館がテーマ。 ホームには日本標準時となる子午線が通過しています。 ちなみに駅名となっている「人丸」は駅北側にある人丸山公園からきています。 「標準時 子…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その9

さらに次の舞子公園でも下車。 ちょうど明石海峡大橋の真下にある駅で、 明石海峡大橋・移情閣・舞子ホテルがイラスト看板には描かれています。 「大正の ロマン感じる 舞子ホテル」

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その8

次の霞ヶ丘にもあったので、特急の通過待ちの際にパチリ。 駅の近くにある五色塚古墳が描かれています。 現在の古墳は戦後の荒廃により 1965(昭和40)年から1975(昭和50)年の整備事業で復元されたもの。 「大古墳 海峡望む 五色塚」

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その7

高台を走る区間を抜けて次のイラスト看板設置駅は垂水。 イラスト看板のテーマは海沿いにあるショッピングモール、マリンピア神戸。 「さかなの学校」はマリンピア神戸内にある施設です…と記しておかないと 『なんのこっちゃ』と思う方もいらっしゃるでしょ…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その6

次の塩屋でも下車。 海と山に挟まれたこの場所を国道2号線・JR・山陽電鉄は東西に駆け抜けます。 この辺りの山手はイラスト看板にもあるように異人館が建ち並ぶ所。 「おしゃれだね 風光明媚な 異人館」

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その5

山陽須磨には設置されていませんが、乗り換えのために一旦下車します。 少し待ってやって来た各駅停車に乗り、次の須磨浦公園で下車。 イラスト看板にはこの駅で乗り換える須磨浦ロープウェイと、 ロープウェイで登った鉢伏山上から見る須磨の海が描かれてい…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その9(終)

[image:1] [image:2] 油日も簡易委託駅。 2002(平成14)年に改築された駅舎は 地元の小学生(当時)の案を採用した忍者屋敷を模したもの。 正面から見ると忍者が巻物をくわえて印を結んでいるように見えます。 スタンプの印影ではちょっとわかりにくいですが…。…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その4

次の須磨寺でも下車。 須磨寺は真言宗須磨寺派の大本山で、上野山福祥寺が正式名称。 平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を 聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりと言われています。 平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚、義…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その3

次に降りたのは月見山。 イラスト看板は須磨離宮公園ですが、ここからは須磨海浜水族園も近いですね。 そんなわけで、須磨海浜水族園の看板もあります。 「千年の 月見の名所 須磨離宮」

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その8

甲賀のスタンプは3種類持っているのですが、右上の「甲賀の里 忍術村」は回収されたそうです…。 下のスタンプの忍者は駅舎内にあるトリックアートのものですね。 左上は改築前の旧駅舎です。 現在の駅舎はWikipediaでは「農家の蔵のような感じ」と書かれて…

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その2

続いて板宿で下車。 でもホームにはそれらしき看板は見当たりません。 駅員さんに聞くと…「この駅にはないですねぇ」。 まだ全駅には設置されていないそうで、駅員さんが設置駅を調べてくれました。 須磨や東二見、姫路など主要な駅でもまだ設置されておらず…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その7

寺庄は2010(平成22)年末に橋上駅舎に改築、翌年には簡易委託化されました。 その簡易委託化の際に京都支社印(下)は撤収されています。 現在は市で作成した上のスタンプがあります。 どちらもフレーズには近くの六角堂が盛り込まれていますね。

2013.8.31 スタンプネタではないですが…その1

山陽電鉄に久々に乗ってきました。 ホームに設置されているイラスト看板を撮りに…です。 まずは山陽電鉄の起点となる西代。 長田の復興のシンボル、鉄人28号が描かれていますね。 「町守り みんなを守る 鉄人ぞ」

スタンプ収集と讃岐うどん巡りは似ている(主観)・その38

ひさびさにアップする「スタさぬ」記事。 これまでの記事を見直してみると、閉めてしまった店がいくつかありますね。 池田の「一伍」や尼崎の「八栗製麺所」…。 店を閉めていないものの土日だけの営業になった(その代わり夜も営業してます) 伊丹の「天」に営…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その6

貴生川の次は甲南。 貴生川駅が開業するまではこちら甲南駅が水口などへの玄関駅として発展していたとのこと。 また信楽線が開通するまでの数年間、 信楽方面の峠に塔を建て駅近くまでゆらゆらとロープを伝って焼物が運ばれていたそうです。 落ちなかったの…

さりげなく

平野駅の妙見口方面ホームにある車両型鉢植え、 さりげなく(?)100周年記念車両に塗り替えられたものもあります。 細かいなぁ…。

のせでん夏電車 2013

今年も夏の装飾電車は風鈴がついています! 近隣の小学校の生徒たちが思い思いのペインティングを風鈴に施しています。

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その5

三雲を出ると次は貴生川。 近江鉄道と信楽高原鉄道が分岐する交通の要衝です。 スタンプフレーズの通り3路線とも甲賀市内を走ります。 支社印に描かれている水口曳山祭(みなくち・ひきやままつり)は、 毎年4月20日に水口神社の例祭・水口祭にあわせて催さ…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その4

湖南市域は次の三雲まで。 三雲の支社印に描かれているのは妙感寺。 駅からは南西に2キロほど離れています。 臨済宗妙心寺派の寺院で、南北朝時代に公卿・藤原藤房が出家し開山したと言われています。 妙心寺二世の微妙大師の墓があるとのこと。

先月のまとめ 2013年6月

先月のまとめです。 6月も更新頻度は低めでしたね。 「奈良までは行かない 奈良線」(つづき) 6/3 黄檗 6/4 宇治 6/5 JR小倉 6/10 新田 6/15 城陽 6/18 長池 6/21 山城青谷 6/22 玉水 「【再編集】東海道と忍者の里 草津線」 6/26 手原 6/28 石部 6/30 甲西

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その3

湖南市は2004(平成16)年に甲賀郡内の石部・甲西の2町が合併して発足した市で、 1959(昭和34)年の「昭和の大合併」の際に合併勧告(←勧告があったんですね)を受けていたものの 実現しなかったため55年越しの合併と言えます。 甲西の支社印は善水寺。 石部と甲…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その2

石部は東海道の51番目の宿場町です。 資料館など町の中心へは徒歩15分ほど。 駅に隣接するコミュニティハウスには宿場町を描いた記念スタンプ(下)がありました。 駅のスタンプは湖南三山の常楽寺と長寿寺が描かれていますね。 残る善水寺は次の甲西駅のスタ…

【旧ブログ再編集】東海道と忍者の里 草津線・その1

草津線は東海道本線の草津から関西本線の柘植を結ぶ路線で、 草津からほぼ中間に位置する貴生川までは東海道沿いを走り、 そこからは東海道を離れ忍者の里である甲賀市の中心へ向かいます。 では、北から南へ辿って行きましょう。 まずは手原。 東海道本線に…

奈良までは行かない 奈良線・その14(終)

玉水の支社印に描かれているのは井堤寺(いでじ)跡。 聖武天皇の時代、左大臣という最高の権力に登りつめた橘諸兄(もろえ)は、 都を平城京から恭仁京に遷都した時の推進役となり、 恭仁京に近い井手の別荘で政務に就いたと考えられています。 その別荘をもと…

奈良までは行かない 奈良線・その13

山城青谷の支社印には青谷梅林が描かれています。 起源は明らかではないのですが、後醍醐天皇の皇子・宗良親王の歌に 「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなき」 とあることから鎌倉末期頃にはすでに梅林があったようですね。 およそ20haの…

奈良までは行かない 奈良線・その12

長池は秀吉の時代に整備された大和街道(伏見から奈良への街道)の宿場のひとつでした。 「五里五里の里」(「ごりごりのさと」とは何だか響きが良くないですね・笑)と呼ばれる場所で、 宿場町の長池はいわば『城陽の中心地』でした。 スタンプに描かれているよ…