このくすのきの近くを東海道線が走っています。
「天保14(1846)年9月の嶋下郡味舌郷(ましたごう)の図面で金剛院持」
と説明板に記されている『弥栄の樟』は、
当時この付近も金剛院(千里丘3丁目)の一部であったことを物語っています。
かつてはこの地に藤の木八幡神社(中内八幡宮)の社があり、
中内八幡宮の歌をうたいながら参詣する人も多かったと言います。
この八幡宮も1912(明治45)年、須佐之男命神社に合祀されましたが、
その当時からひときわ目立ったのがこのくすのきでした。
聖武天皇の天平年間(729~748年)植樹という伝承がありますが、
昭和の初めに味舌村では「弥栄の樟」と命名し、
命名式には芸人を呼び寄せて披露しこの樹を厚く保護したと言います。
このくすのきは平成元(1989)年、
大阪みどりの百選選定委員会において「大阪みどりの百選」のひとつに選ばれています。