戦国時代、湖上水運で栄えた堅田はルイス・フロイスによって「甚だ富裕なる町」と評されました。
現在も大津市北部の拠点で、1974(昭和49)年の湖西線開業以降は
住宅地として目覚ましい発展を遂げています。
湖畔には出島灯台と満月寺(臨済宗大徳寺派)の浮御堂があり、
浮御堂の「堅田の落雁」は近江八景の1つに数えられていますね( ^O^)
現在の堂は1937(昭和12)年に再建されたもので、
先代の堂は1934(昭和9)年に室戸台風によって倒壊しています。
現在押せる支社印(右)にある「湖族」とは中世以後堅田荘の自治を行っていた「堅田衆」を指します。
「堅田三方」(のちに1つ増加して「堅田四方」になる)と呼ばれる惣組織が形成され、
殿原衆(地侍)と全人衆(商工業者・周辺農民)からなる「堅田衆」によって
堅田の自治の歴史は始まりました。
様々に形を変えて行われた堅田の自治は、
1967(昭和42)年4月に堅田町が大津市に編入されたことで幕を閉じたと言えます。