KAYZのスタコレ2

全国各地に設置されているスタンプを集めています。記事の大半はスタンプ関連、他は讃岐うどんやカレーなど…。Twitterアカウントは@kayz_stamper

スタンプで見る琵琶湖一周 湖西線→北陸線→琵琶湖線・その36

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近江商人発祥の地」として知られる近江八幡
往時の街並みは駅から離れているため都市化の波を受けずに今も残っています。
収集したスタンプは現在設置されている支社印(右)と「アーバン印」の2種類。
先代の支社印にも水郷風景が描かれていたそうですね。
下の3つは駅1階にある観光案内所にあったものですが、
鮮明に押せていないので見るたびに押し直しに行きたくなります(笑)

近江八幡の水郷は琵琶湖の内湖となる西の湖を中心とした水郷で、
琵琶湖国定公園第2種特別地域に指定されています。
多くの内湖は明治時代以降に干拓され、現在残っている大きなものは西の湖だけになっています。
2006(平成18)年には重要文化的景観選定制度の適用第1号として国より選定を受けました。
※制度は2004(平成16)年の文化財保護法改正によって創設

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八幡堀は1585(天正13)年に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。
秀次は八幡堀と琵琶湖とを繋いで、湖上を往来する船を寄港させることで人や物・情報を集め、
さらに楽市楽座制を実施することで城下を活気付かせていきました。
1595(文禄4)年に廃城となった八幡城でしたが、
残った町を根拠地として近江商人は八幡堀の地の利を活かして商業を行います。
町は近江の商都として江戸時代を通じて繁栄したのでした。

1991(平成3)年には国の伝統的建造物群保存地区に選定され
今や観光名所として位置づけられる八幡堀ですが、
江戸時代の頃から現在まで水郷の美観が保たれていたわけではありません。
市民が八幡堀との関わりや関心を失った昭和40年代後半には埋め立てられようとしたのです。
戦後は雑草が生い茂り、ゴミが捨てられヘドロが堆積される…といったひどい状態でしたが、
市民の地道な清掃活動によって美しい水郷風景は甦りました。